UI Makiko

宇井眞紀子

UI Makiko

1960年千葉県生まれ。83年武蔵野美術大学卒業。
85年日本写真芸術専門学校卒業。学生時代から写真家・樋口健二氏に師事。
卒業と同時に雑誌を中心にフリーランスで活動をはじめる。92年子連れでアイヌ民族の取材をはじめる。
99年東京の廃線跡の取材をはじめる。
写真集に『アイヌときどき日本人』(社会評論社)、『アイヌ、風の肖像』(新泉社)、『眠る線路』(ワイズ出版)など。
2004年、第4回さがみはら写真新人奨励賞受賞。2012年、第28回東川賞特別作家賞受賞。


『眠る線路』
軍需産業をささえた鉄道、高度経済成長に貢献した鉄道・・・。
今は役割を終えて、首都東京の片隅で忘れさられようとしてる。
何の痕跡も残っていないように見える場所。しかしかつて確かに鉄道が存在したことは、土地に刻み込まれている。
廃線跡に立った時、今はただ眠る線路の背後に、その時代の「今」を生きた人びとのうごめきが感じられた。
幾層にも重なった人間の営みの上に今があることを改めて知らされる。
現在と歴史のなかの事実との関係を、廃線跡をたどる旅と往時を知る人の証言で記憶にとどめたいと思い、
古い地図と新しい地図を照らし合わせては思いを馳せた。
証言者を探すのにはとても難儀したが、22人のその言葉からは、鮮やかに当時の空気が蘇った。



中島飛行機専用線(1942年頃ー1945年頃)/西武新宿線の小さなガード下を機関車が走っていた。





東京鉄道郵便局専用地下鉄(1915年ー1940年)/東京駅のプラットホーム真下にある地下鉄跡。今は、職員等の通路として使われている。





立川飛行機専用線(1944年ー1969年)/立飛企業の構内に残る立川飛行機時代の木造建屋。





陸軍造兵廠専用鉄道(1907年頃ー1945年頃)/軌道跡は広い道路に変わっていた。
道路右側に並行してある細長い空間(公園)は、かつて運河で東京第二陸軍造兵廠王子工場に続いていた。





小河内ダム資材運搬専用鉄道(1952年ー1957年)/第二氷川隧道で行われたシメジ栽培の施設跡。





東京都港湾局専用線(1930年ー1989年)/豊洲運河に架かっていた鉄橋の橋げた。





五日市鉄道(1930年ー1944年)/五日市鉄道と八高線の交差地点。





五日市鉄道(1926年ー1982年)/線路跡が家庭菜園に。





羽村山口軽便鉄道(1918年ー1927年頃 1929年ー1933年 1943年ー1944年)/村山貯水池建設資材を輸送するためにトロッコ軌道が敷かれていた。
満月に輝く村山貯水池(多摩湖)。





陸軍航空工廠専用線(1943年ー1978年)/陸軍航空工廠(後に米軍立川基地)跡に放置されたままの米軍のタンクローリー。





中島飛行機専用線(1942年頃ー1945年頃)/武蔵野中央公園(中島飛行機武蔵製作所跡)に隣接するだだっ広い直線道路。滑走路として使う計画もあったとか。





東京都港湾局専用線(1930年ー1989年)/マンションの駐車場の外燈に照らし出された軌道跡。





小河内ダム資材運搬専用鉄道(1952年ー1957年)/下から見上げると現役に見える橋梁も実は・・・。





陸軍造兵廠専用鉄道(1907年頃ー1945年頃)/当時の軍の施設が専門学校の自転車置き場に使用されている。





陸軍造兵廠専用鉄道(1907年頃ー1945年頃)/軌道沿いに残る陸軍造兵廠関連の建物。憲兵小屋か?



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